虫撮る人々

地球は人間の所有物と思ったら大間違い。虫も獣も鳥もいる。昆虫記者の私的ブログです。

マレーシア・ジャングル放浪記inタマンネガラ①

〇マレーシア・ジャングル放浪記inタマンネガラ①
 
 マレーシ・タマンネガラ国立公園の虫旅。時事ドットコムでも連載を開始しましたが、ドットコムはテーマ別にコンパクトな記事(と言っても、ちょっと長くて、冗長な感じはぬぐえないですね)にしています。
でも、こちらのブログでは、ページ数制限もないので、旅の間にメモ帳に書いた日記をもとに、さらに冗長に、だらだらと、自分勝手に、時間経過を追って書いていきたいと思います。ドットコムの記事も同じ日記を使って書いているので、半分ぐらいは重複していると思いますが、公式の記事には書けなかったことや、これからタマンネガラに行こうと考えている素晴らしきチャレンジャーにとって、参考になる細々とした情報も盛り込んでいきたいと思います。
 
3月11日
◇悲劇は虫旅の始めに突然訪れた
 最初からドッカーン、顔面蒼白。今回のタマンネガラ虫旅は「まだ何も始まらないうちに、すべてが終わった」のであった。事件は空港からクアラルンプールへの移動の際に起きたのである。
 クアラルンプール国際空港(KLIA)は成田空港なんかよりはるかに大きく、立派で、整然としていて、美しい。第1ターミナルは中心部にジャングルがあったりする。近未来から、未開のジャングルに突然ワープしたような感覚だ。
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 KLIAの中にはジャングルがある。さすがは熱帯。

 近未来の空港KLIAからクアラルンプール中心部への移動には、マレーシアが世界に誇る高速列車「KLIAエクスプレス」を利用してこそ、純正マレーシアの旅といえる。
一人旅なら、タクシーより列車の方がかなり安い。これが一番大事なことだ。何でも安いが一番。片道の料金は55リンギである。そして、ともかく速い。たったの28分で空港から首都クアラルンプール中心部のKLセントラル駅に到着する。
タクシーだと渋滞があったりして、1時間以上かかることを覚悟しなければならない。空港からのタクシーはチケット制で、最初から料金が決まっているから、メーターの動きにイライラする必要はないのだが、それでも、渋滞にはまると気分が良くない。時間を失うことは、その時間内に見ることのできる虫を失うことに等しいのだ。
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 KLIAのホーム。ホームドアもあって、なかなか立派。

 それに比べ、時間通り正確に運行する列車は、心休まる乗り物だ。ビュンビュン飛ばすエクスプレス。最高時速は160キロもある。東南アジア最速を誇っているらしい。新興国マレーシアでは、もはや金子光晴の「マレー欄印紀行」のような熱帯のけだるい旅の情緒を期待してはならないのだ。
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 車窓からみた列車。車両はドイツ製か中国製らしい。

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 アブラヤシ農園に夕日が沈む。

 「全く東京と変わらないぞ」。と言うか、「東京以上に先進的だぞ」。車窓の風景を眺める間もなく、ちょっとウトウトしていたら、もうKLセントラル駅。30秒ぐらいで着いてしまった感じだ。乗った瞬間に、瞬間移動して、到着したような気分だ。まるでドラえもんの「どこでもドア」じゃないか。このままKLIAエクスプレスで、ジャングルに突入できたらもっとすごい。近未来から突如太古の森へ。さすがにそれは、今のところ無理。だが、数年後には実現していてもおかしくない。
 よしよし。すべて順調だ。初めてKLIAエクスプレスを利用したが、選択に間違いはなかった。明日朝の送迎バスに備えて、今日はクアラの安ホテルで一泊だ。改札を出て、ホテルまでの順路を確認する。タクシーでもいいが、モノレールを使う手もあるなどと思案しながら、リュックの中の地図を確認しようとしたその時である。
「リュ、リュ、リュックがない。しまった。やってしまった」。電車の中に置き忘れてしまったのだ。スーツケースとカメラバックだけ持って出てきてしまった。あの快適さが、あのウトウトが、いけなかったのだ。寝ぼけた頭のまま、荷物棚にリュックを置き去りにして、列車を降りてしまったのだ。
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 この棚にリュックを置き忘れた。

 「す、す、すべてが終わった」。一匹も虫を見ることなく、終わったのだ。熱帯だというのに、寒気がする。サーっと血の気が引いて、冷たい汗が流れる。視界が暗くなる。「すでにお前は死んでいる」状態だ。クレジットカードと日本円の入った財布はリュックの中だ。着替えの服もパソコンもリュックの中だ。幸いパスポートとマレーシア・リンギの入った財布はポケットに入っているが、リュックの中身なしに、このまま旅行を続けることは不可能だ。
 
◇情け容赦なき予算10万円の壁
 実は、こういう経験は初めてではない。今回ほど深刻ではないが、財布、コート、鞄,傘、ありとあらゆる物をこれまでになくしてきた。そうなのだ。昆虫記者は忘れ物キングなのだ。今回はまさに、キングの面目躍如なのである。しかし、そんなことを自慢しても、誰一人として評価してはくれない。
 やはり、慣れない列車を利用したのがいけなかったのか。しかし、予算縮小の折、気軽にタクシーを利用することは、ためらわざるを得なかったのである。
なにせ、今回の予算は1週間で10万円である。給料激減、緊縮財政を背景に、妻から昆虫予算の削減を命じられたのである。海外旅行の際には、詳細な支出明細の提出を義務付けられたのである。安倍政権による経済界への3%の賃上げ要請など、どこ吹く風。我が家には、全く吹いてこないのである。
航空料金は往復4万円。諸経費、税金を入れて4万6330円。ムティアラの宿泊料が4泊、税込みで3万4324円。10万マイナス8万0654円=1万9346円。これは厳しい。クアラルンプールの安宿1泊、列車と送迎バスの移動で、1万円近くかかるから、残りは9000円ちょっとしかないではないか。これですべての食費を賄わなければならない。

 10万円はつらい。つらいが、行かせてもらえるだけありがたいことだ。もし、虫撮りにいかせてもらえなかったら、昆虫記者はどうなってしまうのか。きっと、生きる希望を失って、ウツ状態、あるいは抜け殻のような「ウツケ者」になってしまうだろう。妻はそれを心配してくれているのだ。
 などと思って、うるわしき家族愛に涙していたのだが、そのうち、どうも違うらしいと気付き始めた。最近の妻の言動から判断すると、どうやら、定年後の夫に趣味がないと、ずっと家に居られるのではないかと懸念しているようなのだ。定年後に「夫婦二人で静かに過ごす豊かな時間」などというものが、おぞましいようなのだ。そういう話がテレビで取り上げられたりすると「あー、嫌だ嫌だ」と呟いている。「買い物にまで、夫がついてくるなんて、うっとうしくてしょうがない」と、吐き捨てるように言うのである。今でさえ、土日が雨で、昆虫記者が家でウダウダしていると、じゃまでしょうがないという顔をする。妻にとっては、定年後の夫の生活が「毎日が土日祝日」になってしまうことが恐怖なのだ。なるべく外へ出て行ってもらいたい。家にいる時間を減らしてもらいたい。1週間ぐらい、帰ってこなければ、料理や洗濯の手間も減って、のびのびできる。しかし、財政状況は厳しい。そこで浮上した折衷案が、週10万円以下の予算での海外昆虫旅行を許可するというものだったのだ。
 
◇希望の光
 しかし、そんなことより、今は紛失したリュックのことを心配しなければ。戻ってこなければ、今回の旅行が継続不能になるばかりでなく、予想される妻の激烈なリアクションから考えて、今後について、当分の間の海外旅行差し止め命令が出る可能性が高い。「2,3年は近所の公園だけブラブラしてなさい」との裁定が下る恐れがある。
 置き忘れたリュックは、すでに誰かに持ち去られているだろう。ここは日本じゃないんだ。戻ってくるはずがない。
 絶望的状況だ。生ける屍となって、ふらふらと改札口へ戻る。すると、駅の雑務係のようなマレー人の男が、ニヤニヤしながら近づいてくる。生きる気力を失った無防備な日本人観光客に、何やら悪事を仕掛けようとしているのか。来るなら来てみろ、もう失うものは何もないのだ。猫を噛む窮鼠のように、身構える。その時、マレー人の口から、意外な言葉が。「バッグ?ユー・ロスト・ユア・バッグ?」。
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 近付いてきた怪しいマレー人。

 なぜだ。なぜ知っている。さては、お前がリュックを持ち去って、闇世界の仲間に手渡したのだな。
 しかし、よく見れば、そんな悪人風ではない。「も、も、もしかして、私のバッグを見つけてくれたんですか。イエス・イエス!アイ・ロスト・マイ・バッグ。オー・マイ・ゴッド!」と取り乱す昆虫記者。マレー人は冷静に、改札脇のガラス張りのオフィスを指差す。オフィスの看板には「ロスト・アンド・ファウンド」の文字。そして、中にいる女性職員の隣には、生き別れになったあの大切なリュックが鎮座しているではないか。表には所有者の素性を物語る大きな昆虫バッジが輝いている。
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 生き別れになったリュックは駅のオフィスに届いていた。

 なんという幸運。マレーシア万歳。マレーシア人最高。KLIAエクスプレス イズ エクセレント。「このあと、どんなひどい目に遭っても、マレーシアへの感謝の気持ちは決して忘れません」。そう心に固く誓ったのであった。もし、リュックが戻ってこなかったら、その損失は精神的痛手まで含めると、今回の旅行予算10万円分と同じくらいの大きさである。つまり、10万円相当の恩義を受けたことになるのだ。
 運がよかったのは、KLIAエクスプレスが空港から終着のKLセントラルまでノンストップ(KLIAトランジットという各駅停車の列車もある)であること。しかも、KLセントラル駅では降車ホームと乗車ホームが全く別の場所にあり、乗客全員が降車した後、無人の社内の忘れ物などをチェックしているらしいのだ。
 女性職員は、リュックに入っていた運転免許証で、持主が昆虫記者であることを確認したあと、リュックの中身が何もなくなっていないかチェックするよう指示。確認書にサインすると、すぐにバックが引き渡された。なんとすばらしい、テキパキとした対応。
 リュックを見つけてくれたのは、さっきのマレー人男性だという。もう嬉しくて、感激して、彼にチップをあげて、記念撮影までしてしまった。極悪人かと疑ってしまってすみませんでした。
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今回の旅でその後何度も経験することになるのだが、マレー人は基本的に正直で誠実だ。もちろん日本に悪人がいるように、どこの国にも悪人はいるから、旅行者が警戒するのは間違いでないが、一般マレー人は相当に信頼できる人々である。もちろん、昆虫記者の類まれな人徳が、そういう真っ当な人々を引き寄せるのだということも、付言しておかねばならない。
 かくして、「すべて終わった」状態から、また「すべてが始まった」のであった。マレーシアでの希望と昆虫に満ちた日々が、再び始まったのだ。

 すいません。今回は虫が全然登場しませんでした。でもマレーシアへ虫探しに行く人には参考になったかも。えっ、全然参考にならない?。そりゃそうですよね。普通、こんな失敗、誰もやらかさないですよね。