虫撮る人々

地球は人間の所有物と思ったら大間違い。虫も獣も鳥もいる。昆虫記者の私的ブログです。

マレーシア・ジャングル放浪記inタマンネガラ⑫

3月15日続き
◇テイオウゼミの豪雨警報
この日の夕食時のレストラン。日没の直前になって、突如大音響の空襲警報が鳴り響く。「ブワーン・ワーン・ワーン」。何事だ。客の間に緊張が走る。
しかし、昆虫記者は落ち着き払ってニヤリと笑う。テイオウゼミの仲間の鳴き声だと分かっていたからだ。高い木の上から、響いてくるすさまじい音。昨晩電灯の下にたくさんいた巨大なセミが、声の主だろう。キャメロンハイランドなどの高原に多い世界最大のセミである本家テイオウゼミよりは、やや小ぶりではあるものの、それでも日本のクマゼミなどと比べれば相当に巨大だ。
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 テイオウゼミの仲間だろう。本家テイオウゼミと比べるとかなり小さいが、その声の大きさはすさまじい。テイオウゼミは夕方にブワーン、ワン、ワンと、人工的な大音響で鳴く。

テイオウゼミを知らない人は、その声をスピーカーの大音響と思うに違いない。そして、そのサイレンの直後に雨が降りだしたのだ。まるでテイオウゼミの鳴き声が大雨警報であったかのように。

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 こちらが、キャメロンハイランドやフレーザーズヒルに多い本家テイオウゼミ。世界最大のセミだ。オオカブト並みの迫力がある。

稲妻が光り、雷鳴がとどろく。そして土砂降りの雨。レストランの外は、ナイアガラの滝になった。屋根のひさしからは、まさに滝のように水が流れ落ちる。外のテーブルに残されていたコップには、すぐに5センチほど雨水がたまった。1時間100ミリ以上の雨だろう。激しい雨音で会話もほとんど聞き取れない。
空の上にこれほどの量の水があるなんて、考えられない。上昇気流とか、湿った空気とか、不安定な大気とか、豪雨の際の気象予報士の説明はなんとなく分かるのだが、実感はやはり、空の上で「バケツをひっくり返した」という言葉そのものだ。
だれもレストランから外へでることはできない。新しい客も来ない。そんな状況が2~3時間も続いた。
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ホテルスタッフによって、レストランに大量の傘が運び込まれる。少し小降りになった時間帯に、その傘を借りて、無事ロッジに。
と思ったが、全然無事ではなかった。ロッジを目前にして気が緩んだのだろう。歩道脇のぬかるみに足をとられて、見事にひっくり返った。服はビショビショ、ドロドロである。幸い大けがはなかったが、これでまた、洗濯の手間が増えた。
 悲しい深夜の洗濯を終えた後も豪雨は続く。テレビを見ながら眠ろうとするが、なかなか眠れない。
 
◇ついに恐れていたものが
 ちょっとうとうとしたと思ったら、午前4時ごろ、激しい雨音でまた目が覚めた。もう7~8時間降り続いていることになる。最初はただの夕立だと思ったのだ。「夕立は夜にはやむものだろ。もうすぐ朝だぞ。このままだと、朝立ちになっちゃうじゃないか」。
ついに恐れていたものが、やってきたのだ。夜が明けてもこのまま豪雨が続いていたら、水の都が陸の孤島と化すだろう。たとえ数日後に救助されたとしても、週明けの出社は不可能で、「虫撮りなんぞで、仕事に穴を開けるとは何事だ」と幹部に叱責され、減給、出勤停止などの懲罰が下るだろう。
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 色々なセミが雨宿りにやってくる。

 タマンネガラの魅力は何と言っても、水辺だ。密林のリゾートホテル「ムティアラ・タマンネガラ」はテンベリン川とその支流のタハン川に囲まれている。クアラタハンの村からテンベリン川を船で渡らないと、たどり着けないのだ。
まさに水の都、水に囲まれた昆虫パラダイス。ジャングルのベニスと呼んでもいい。しかし、水の都は常に水に脅かされているのだ。本家イタリアのベニス(ベネチア)も、最近は頻繁に水没しているらしい。水没は水の都の宿命なのだ。2014年12月には、ほぼ1カ月間、洪水でタマンネガラへの交通が途絶し、100人以上の観光客、スタッフが孤立。救出のため、ヘリが出動したという。
ここの雨期の危険は半端ではない。映画やドラマなら、ポテトチップスでも食べながら、手に汗握って観ていればいいが、実際にその場に立たされる身にとっては、生きるか死ぬかの分かれ目である。
ムティアラはその後も頻繁に洪水の被害に見舞われているようで、「修復作業のためしばし閉館しておりましたが、3月1日にリオーブンします」なんてお知らせを出した年もあった。冬休みの宿泊を予約していたら、宿が閉鎖なんていう、最悪の事態もあり得るのである。
「それでもまあ、毎年閉鎖ってことはないだろうから、今年は大丈夫だろう」なんて考えていたら甘い、甘い。18年もやはり、1月の2日に閉鎖されて、7日に再開されている。
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 キリギリスの仲間も、屋根の下に避難。

ネット上には、「予約していたのに閉鎖。どうしよう。代金は戻ってくるけれど、今から目的地を変更しないといけない。どこかいいところないでしょうか」なんていう情けないコメントも。それでも、事前にキャンセルできたら、まだましだ。到着してから、閉鎖だったら「もう最悪」って感じになる。救助を待つだけで、休暇が終わる。救助されればいいが、流されちゃったら、「参った、参った」なんて、のんきにぼやくことすらできない。
テンベリン川を渡れなくなったら、ムティアラは文字通り陸の孤島である。「母危篤、すぐ帰れ」とか連絡がきたら、激流に飛び込んで命を落とすか、反対方向のジャングルに突き進んで、永遠の行方不明者になるかである。
そこまで劇的な、パニック映画的な展開にならない場合でも、雨期にタマンネガラを訪れた観光客のコメントは暗い。
ただただ狭いシャレーに閉じ込められて、「どこも行くところがない、何もすることがない」。「森を歩いたり、吊り橋を渡ったり、川下りをしたり、泳いだり、そんな普段のアトラクションは何もできない。ホテル側は、別の楽しみ方を考えてなどくれない」。
都会ではないから、ここにはショッピングセンターも飲食店街も、映画館も、ナイトスポットもないのである。
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 奇抜な姿のギンモンスズメモドキ。

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 「色とりどりの蛾が逃げ込んできて雨の夜もけっこう楽しい」なんて言ってられたのは最初のうちだけ。次第に恐怖が支配する世界になった。

◇豪雨のベランダでも虫を撮る
 ともかく、普通の危険回避本能のある人間ならば、10月から2月初めまでの雨期のタマンネガラ訪問は避けたいと考えるだろう。熱帯には季節がないなんていう嘘っぱちを信じて、冬休みにタマンネガラに行こうなんて考えている人がもしもいたら、「命がけの濁流下りが趣味なら、行ってみたら」と、一応忠告しておきたい。
濁流に飲まれて命を落としては、昆虫記者の名折れだ。水辺の緑の楽園と言えば、聞こえはいいが、水浸しとか、ビチョビチョとか、ぬかるみとか表現すると、行きたくなくなる。洪水とか、水難事故とか聞くと、絶対行きたくなくなる。
 
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 緑色のゲジゲジが逃げ込んできたと思ったら、動きがどうも毛虫くさい。恐らくイナズマチョウの仲間の幼虫だろう。壁にとまっていると毒々しく、目立つ姿だが、これが葉っぱの中心にいると、トゲトゲとブラシのような毛が葉脈のように見えて、ドロンと姿を消してしまうらしい。

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 ちょっと刺激して顔を上げさせてみた。やっぱりゲジゲジではなくて、芋虫だった。

雨が嫌だから、今回の旅は3月後半にしたのである。3月はドライなシーズンとされている。あまり乾燥が続くと虫は少なくなるが、3月ならまだ雨期の名残があり、ジャングルは虫が育つのに良好な環境に違いない。その上、長い雨期の間、レジャーに、デートに出かけたくてウズウズシテいた虫たちが、一斉に飛び出してくるのではないか。そんな妄想が頭の中で渦巻いていたのだ。
そして今、ロッジの屋根にザーザーと豪雨が降り注いている。「雨季にタマンネガラに行くなんて、ばっかじゃないの」とか言って、雨季に出かけたチャレンジャーたちの悲惨な境遇に、「他人の不幸は蜜の味」を感じていたのがいけなかった。「人を呪わば穴二つ」。雨季のジャングルで恐怖のどん底に突き落とされた人々の恨みの涙が、昨夜からの豪雨に姿を変えて、昆虫記者を押し流そうとしているのだ。
運勢は下り坂である。給料や体力は、雪崩のような急激な下り坂。腹の調子も何だかおかしい。世の中すべてが、シンクロして下り坂になりつつあるようだ。
窓から雨の降り続く外を眺める。ベランダの天井に灯った明かりに、蝶が来ていた。豪雨の森から避難してきたのだろう。イワサキコノハのようだ。一応写真を撮る。
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森の動物たちは、どうやって、豪雨をしのいでいるのだろうと心配になる。しかし、動物のことを心配している場合ではない。自分の身を心配しなければ。サルの群れが、ベランダに避難してきたら、それは、それは恐ろしいことになるではないか。やはり動物はジャングルから出てきてはいけない。動物の心配などしてはいけない。
こんな時に、虫の写真を撮っているなんて、「馬鹿じゃないの」と思う人もいるだろう。しかし、たとえロッジが洪水で流されようとも、そこに虫がいれば撮る。それぞ昆虫記者魂だ。
大雨の日に、田んぼや畑の様子を見に行って、用水路に流されたという人の話は、ニュースなどでよく耳にする。そんな時、なんでそんな馬鹿なまねをしたんだろうと思う。もし、ここで昆虫記者が流されていたら、全く比較ならないほど、「馬鹿、馬鹿、大馬鹿だよねー」ということになっていただろう。