◆見逃せない最後の7段目の滝
エラワンの滝の最後の7段目は「PHU・PHA・ERAWAN(エラワンの岩壁)」。スタート地点から2000メートル。流れを渡り、急なはしごを何本も登って、何とか滝にたどり着いた。エラワンの滝とは、この7段目のことでもあるので、ここまで来なければ、エラワンを語ることはできない。
別にエラワンを語らなければならない義務はないので、途中でリタイアしても全く構わないのだが、入場料と駐車場代、計330バーツを払わされた外国人観光客にとっては、7段の滝の一つ一つに47バーツの価値があるのである。一つ見逃せば、47バーツの損失だ。
ここがトレイルの終点。途中で昆虫記者を苦も無く抜いていった憎き西洋人たちがここに集合していた。
最も人が多かったのが、この7段目だ。運動不足の昆虫記者は息を切らせながら、虫を撮りつつ、ゆっくり登ってきたので、多くの西洋人たちに途中で抜き去られた。その西洋人たちが全員、ここに集結していたのである。西洋人たちもまた、47バーツが惜しかったに違いない。やはりみな、元を取ろうと考えているのだ。
◆神聖な白いゾウを水着の尻に敷く
この滝の中には、ヒンズー教の神話に登場する三つの頭を持つ白いゾウ「エラワン」に似た岩が見えるらしい。しかし、信仰心が希薄で邪念ばかりの昆虫記者には、白いゾウの姿はどこにも見えず、岩の上の水着の女性たちだけしか目に入らない。白いゾウを見つけられなれば、何のためのエラワンなのか。詐欺で330バーツをかすめとられたようなものではないか。
だが、しばらくして、ふと気付いたのである。「もしかすると、水着の女性が座り、子供たちが踏みつけにしているあの丸い岩の連なりこそがゾウの頭ではないのか」。絶対そうだ。見れば見るほど、禿げ頭の連なりに見えてくる。
右側の三つの丸く白い岩の連なりが、三つの頭を持つ神聖なるエラワンの白象の頭部分ではないのか。一番下の頭は、水着美女2人の尻に敷かれているし、一番上の頭は水着の子供たちに踏みつけられているように見えるのだが、それでいいのだろうか。
もしそうなら、神聖なるエラワンの上にお尻を乗せたりしていいのだろうか。まあ、タイではゾウは乗り物の一種でもあるし、神様も水着姿のきれいな女性を頭の上に乗せるのは嫌ではないだろうから、おとがめはないのかもしれない。
◆たるんだ中高年には厳しい道のり1時間で登り切れると思っていたのに、実際には9時半スタートで、7段目到着は昼頃になった。何と2時間半もかかったことになる。筋肉プヨプヨの中高年昆虫記者は、トレイルランナーのように山道を駆け抜けることはできないのだ。
4段目までは楽々。5段目は少しきつい上り階段が多くなるが、それでも余裕だった。問題はそこから先だった。6段目、7段目を目指す道のりは、ロッククライミングとボルダリングと沢登りと、踏み台昇降を組み合わせたようなコース。サンダル履きでは、かなり厳しい。軽装でやってきた肥満気味の西洋人女性が途中で息を切らし、死にそうになっていた。
中高年にとっては、死の上り坂
インディージョーンズ風の危険な岩登りも経験できる。
体重制限がありそうな今にも崩れそうな階段。
一人瞑想する男。仏陀かお前は。
「瞑想する男に迫る毒グモ」という設定
「瞑想する男に襲い掛かるコモドドラゴン」という設定。本当はおとなしいミズオオトカゲ
大きなフグリを誇示するマッチョなオス猿
昆虫記者のような、運動不足、虚弱体質の中高年にとっては、上り切るだけで大変なのだ。まったりしている余裕など全くないのだ。
しかし今回のタイ旅行では、多少なりとも厳しい道のりは、ここだけ。何が何でも達成するぞという意気込みで臨んだのだ。旅の実質初日。これをやり切らなかったら、今後の士気が失われる。何事も達成できないダメ人間、ダメ昆虫記者である。
たぶんマルバネワモン。ワモンチョウの仲間は木陰に多い。
チビイシガケチョウの仲間
ロクスシロサカハチシジミ
◆帰りの滝つぼは市民プール状態
帰り道。どの滝にも行きと比べて、人がずいぶん増えている。平日でも昼頃になると、団体客が大勢繰り出してくるようだ。行きに蝶の水飲み場となっていたような場所も、人々が占拠して、蝶の姿は見えなくなっていた。蝶を撮るなら人の少ない朝という戦略は、まずまず成功だった。道端の蝶も、帰りにはほとんど見掛けなかった。そして、タイ人に1番人気の2段目の滝に戻ってきた。地元の人々であふれ返り、周辺にはレジャーシートが敷き詰められている。これが土日だったら、一体どんな光景になるのか、恐ろしくなる。朝は「タイのパムッカレ」だった滝つぼは、午後には大にぎわいの市民プール、公衆浴場と化していた。
エラワンの滝に関するネット上のどの記事を読んでも、「思っていたのと違って、すごい人出だった」と書いてあった。それがこの光景なのだ。地元の小中学生のグループが来ていることも多いようだ。レジャーシート敷きまくり、お弁当食べまくりでわいわい、がやがや。午後のエラワンは、全然秘境ではない。日本で言えば、袋田の滝のような感じだ。違うのは、みんなで滝つぼに入って遊べること。遊園地的なにぎわいである。すさまじく大衆的な滝だ。まるでディズニーランド、ディズニーシーのようではないか。子供たち、若いカップルたちが、はしゃいで水をかけ合っている。
「息をのむほど美しい大自然に囲まれ、滝のマイナスイオンを胸いっぱいに吸い込んで、澄み切った心で静かに虫を撮る」。そんなことは、たとえ平日でも、昼時のエラワンで期待してはいけない。「これではとても蝶の写真なんて撮れないな」と諦めかけたその時だった。レジャーシートの空白地帯に、黒いアゲハの仲間の群れが見えたのである。◆人込みの中を飛ぶルリモンアゲハ
ルリモンアゲハも2匹混じっている。そうなのだ。蝶の中には人の汗や人の食料・飲料のおこぼれに群がる浅ましい連中もいるのだ。2段目の滝の周辺は飲食自由だから、何かおいしい液体でもこぼれているのだろうか。 地面に群がる蝶を撮った。「なんか違うな。こんなのを撮りに来たはずじゃないのに」。でも、蝶は蝶である。
仏教の盛んなタイだから、神聖な場所には浮ついた気持ちで臨んではならないと、気を引き締めていたのだが、どうやらタイの庶民は神聖な場所や神仏との接し方が日本人とは違うようだ。にぎやかな日常生活の中にこそ、神仏が存在しているのだ。
目が慣れてくると、「こういうのもいいな」と思えてくる。自然の造形そのままの滝つぼで思いっきり遊べるのは、うらやましいと思えてくる。これもまた、神聖な滝の楽しみ方の一形態なのだ。
エラワンに秘境、深山幽谷を期待してはいけない。聖なる地を、日本人的に静かに味わうのが、必ずしも正しいとは言えない。タイの人々には、タイらしい楽しみ方があるのだ。滝つぼに響き渡る歓声の中で蝶を撮っている間に、そんな気分になってきた。
ルリモンアゲハは、人が至近距離に迫ると飛び立つが、しばらくするとまた戻ってくる。かなりの根性だ。毎日のことで慣れてしまったのだろうか、警戒心が薄い。
あこがれのルリモンアゲハも大衆的な蝶に成り下がっていた。
シロオビアゲハのお尻の方にいる小さなネッタイタマヤスデが、おまけのお菓子のようでかわいい。
オナシモンキアゲハ。
エラワンの滝を午後2時ごろに後にして、ホテルに戻る途中にあるサイヨークノイ滝に寄ってみた。乾季のサイヨークノイ滝は、チョロチョロの流れで、みすぼらし眺めだが、さすが雨季なので、まずまずの水量があって、そこそこの迫力だった。平日なので、人でもそれほど多くはない。大通り沿いにあるので、近隣のタイ人にとっては、家族総出で弁当片手に出かけるお手軽なピクニックに最適の場所である。休日に見に行くと、ちょっとがっかりするかもしれないので、昆虫記者が撮った素晴らしい写真に感動して、あまり期待しすぎないように。
ここには、タイ国鉄ナムトック線の終着駅、ナムトック・サイヨークノイがあるのだが、この駅が利用されるのは土日だけ。平日は、一つ前のナムトックが終点となる。だから、線路上を歩いても安全だ。後日この線路を歩いてみようと思う。