虫撮る人々

地球は人間の所有物と思ったら大間違い。虫も獣も鳥もいる。昆虫記者の私的ブログです。

サイヨーク、エラワン、泰緬鉄道の虫旅⑤

◎サイヨーク、エラワン、泰緬鉄道の虫旅⑤
6月19日火曜
 ◆泰緬鉄道で戦場にかける橋へ
 タイのクウェー川には、今も旧日本軍が建設した「戦場にかける橋」クウェー川鉄橋があり、タイ国鉄の南本線、ノーンプラドック=ナムトック支線の列車が橋の上を通っている。戦時中の日本軍の物資輸送路として、突貫工事で完成させた泰緬鉄道。ビルマ・シャム鉄道の一部は、名前を変えて、今も現役で人々を運んでいるのである。
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 かつての戦場にかける橋は、今では一大観光名所。大勢の観光客と、少数の鉄道ファンと、たった一人の昆虫記者の夢のかけはしとなっている。

 普通の観光客はバンコクトンブリー駅)から西進し、クウェー川鉄橋駅へ向かうのだが、昆虫記者は支線の西端に近いナムトック駅から東進し、鉄橋を目指す。なぜなのか。答えは簡単である。虫の少ない大都会のバンコクではなく、虫の多いジャングルが広がるナムトック側に宿をとっているからである。
 それにバンコクからカンチャナブリまでの車窓の眺めは、取り立てて素晴らしいものではない。景色がいいのはカンチャナブリから先、ナムトックまでだ。この区間の列車旅を堪能したいなら、カンチャナブリかナムトックの周辺に泊まるのが望ましい。
 どちらがいいかと問われれば、昆虫記者としては虫の多いナムトックを勧める。しかし、それは「尋ねる相手を間違えた」ということになる。昆虫記者のプランには誰一人として賛同しないだろう。ナムトックの宿は、たいていひどく不便なのである。
 つまり、今回の泰緬鉄道の旅の行程は、常識を備えた普通の人々にとっては、全く参考にならないものなのである。
◆鉄道ファンの聖域を冒す
 現在の終着駅。タイのナムトック・サイヨークノイから先には、ミャンマーに隣接するサイヨーク国立公園がクウェーノイ川沿いに広がっている。すぐ隣、クウェーヤイ川の上流には、7段の滝で有名なエラワン国立公園。昆虫記者などと名乗るならば、虫が多い国立公園内だけを探索すればいいではないか。神聖な鉄道ファンの領域を冒すなど、もってのほかだという意見もあるだろう。
 しかし、目の前にある泰緬鉄道に乗らないというのも、なにかもったいない。大損した気分になる。
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 昆虫マニアには、たいてい鉄道マニアの血が多少なりとも流れているのである。財政上と年齢上の理由から最近車を手放した昆虫記者は、移動手段として、鉄道を多く利用しているから、当然、鉄道マニアの血が濃くなりつつあるのだ。したがって、泰緬鉄道が目の前を走っているのに、それを無視することなどできないのである。
 泰緬鉄道方面に出かけることになったのには、さらに伏線がある。推理小説には必ず、こういうさりげない伏線があるものだ。
 車ではなく列車を利用すると、列車内での暇つぶしに読書をするようになる。さらに、近く定年を迎え、定年後嘱託となるのを機に、窓際から、また別の窓際へ職場移動となり、とっくに忘れてしまった英語の翻訳作業をやることになったので、急遽英語の本なども読み始めたのだ。そして手にした一冊が「戦場にかける橋(THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI)」だったのである。
 1冊の本がきっかけで、タイ・カンチャナブリ県に出かける男。そこで殺人事件に遭遇する。サスペンス物のドラマにありそうな筋書きではないか。
 色々と面倒な前振りをしたが、実際には、読書が一つの契機にはなったものの、虫撮りができて、有名な鉄道にも乗れる旅行先としてカンチャナブリが選ばれたという、至極単純なことなのである。別にサスペンス・ドラマ仕立てにする必要もないのだ。
◆未明のナムトック駅
 平日に運行されるのは3等席のみの通常列車だけだ。通常と言うからには、日本の山手線のように、次から次へと列車がやってくると思うかもしれないが、それは大間違いだ。1日2、3往復しかないのである。途中下車するにはかなりの勇気がいる。待てども、待てども次の列車は来ないのだ。綿密な計画が必要となる。ルーズな昆虫記者には、困難な課題だ。いつもの行きあたりばったり戦法は通用しない。
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 バンコクまでの直通は1日2往復しかない。途中駅までの往復を入れても3往復だ。非常に分かりやすい時刻表である。

 サイヨークのジャングルの中のホテルからナムトック駅までは、ホテルのソンテウ(乗合小型トラック)で30分ほど。ナムトック始発の一番列車は、列車午前5時20分発。あとは、午後0時50分発しか選択肢はない。余裕を持つには、午前5時20分発に乗る必要があり、とんでもない早起きを強いられることになった。
 ここで注意が必要な点が一つ。ナムトック線の平日の列車は、路線西端のナムトック・サイヨークノイ駅までは行かない。一つ手前のナムトック駅が始発、終着駅となるのだ。間違って、ナムトック・サイヨークノイ駅で列車を待っていたら、一日中駅で待ちぼうけを食らうことになる。
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 ナムトックの始発列車。外はまだ真っ暗だ。

 昆虫記者には関係ないが、土日祝日には、ちょっと高級な臨時観光列車が、バンコクからナムトック・サイヨークノイ駅までやってくるらしい。戦没者墓地のあるカンチャナブリやクウェー川鉄橋、サイヨークノイ滝を観光する時間も設けられているらしい。すべて「らしい」である。昆虫記の日程は日曜夜から金曜までなので、スケジュール的にこの列車には乗れないのである。たとえ、スケジュール的に可能であったとしても、昆虫と縁のない観光列車には乗らないのである。しかも料金が高いらしい。ナムトック線の普通列車なら、外国人料金はどこまで行ってもたったの100バーツだ。
 ホテルを出るのは、余裕をもって、午前4時半。めちゃめちゃ眠い。が、こういう早朝の時間帯は、虫探しには貴重なのだ。無駄にしてはならない。ホテルでソンテウを待っているわずかな時間に、フロントの照明の近くで、オオゾウムシを見つけた。虫撮りのためなら1分、1秒も無駄にしない。昆虫記者はさすがである。
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 早朝のフロント係はこの巨大ヤモリ「トッケイ」。蛾、蚊、ハエなど嫌な虫を掃除する働き者だ。

 ソンテウでまだ暗いナムトック駅に到着。駅で待っている乗客は、昆虫記者を含め3人しかいなかった。ライトを点灯した列車がホームに入ってくる。乗り込んだ車両は、昆虫記者が独り占めである。
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 この路線は。もともとは泰緬鉄道の一部分だが、今はミャンマーまでつながってはいない。ミャンマーまで乗って行けるなら最高と思っている鉄道ファンは多いだろう。昆虫ファンとしても、熱帯のジャングルの中をタイからミャンマーまで走り抜ける鉄道は夢である。途中駅はすべて、昆虫天国に違いないからだ。
 クウェー川鉄橋駅への到着予定時間は、午前7時12分。帰りの列車は鉄橋駅10時55分発に乗るつもりなので、3時間半以上の自由時間が鉄橋周辺で確保できる。
 ナムトックに12時20分に戻れるから、ナムトック駅からナムトック・サイヨークノイ駅までのんびり歩いて、サイヨークノイ滝で時間をつぶすこともできそうだ。
◆1時間程度の遅れは覚悟
 しかし、後で知ったことだが、列車でタイを旅行する際には、こうした綿密な計画は無駄になる可能性が高い。時刻表とにらめっこをして、ち密な計画を立てたとしても、タイの列車は1時間、2時間の遅れは当たり前なのである。遅れなければ列車にあらずと言わんがばかりだ。
 特にこのナムトック線は、遅れることで有名らしい。土日は観光客が多いため、観光客向けの列車もあり、名所の駅では長い停車時間を取るが、その時間がいい加減らしい。撮影スポットでは、とりわけゆっくりと走ったりするので、どんどん遅れる。しかも運行本数が少ないので、良く言えば、運行に融通が利き、運転手の自由裁量にゆだねられている範囲が広いのだろう。あまり時刻表にはとらわれないようだ。時刻表にうるさい日本の筋鉄にとっては、悪夢のような列車だ。
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 列車にはちゃんとトイレもついている。ボトルに水道の水をためて流すようだ。

 それでは、一体なんのための時刻表なのかと言うと、それは、時刻表に書かれた時間より早く出発することはないという意味の時刻表なのだ。それより遅く出発するのは当たり前なのである。
 日本的感覚でいると、30分、1時間と待たされると、頭に血が上って、「駅員を襲撃」なんてことになりかねない。怒りが爆発して、クウェー川鉄橋を、映画のようにプラスチック爆弾で爆破してやろうなんて、考えてはならない。第二次大戦中なら、橋を爆破してヒーローになれたが、今爆破すればテロリストだ。
 しかし、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。日本人は急ぎすぎなのである」なんて言っていると、全然物事がスケジュール通りに進まないのだ。ギリギリの予算、ギリギリの休暇日程の虫旅。日本に帰ったらすぐまた仕事。タイ時間に毒されてしまったら、もう日本時間には戻れない。
◆電車が15分しか遅れない。これは事件だ
 だが、ナムトック午前5時20分の始発列車は、乗客が数人しかいないこともあって、ほとんど遅れもなく、順調に走行していた。
 しかし、サスペンス・ドラマでは、こういう時に事件が起きるのである。バシッ。頬に激痛が走る。狙撃されたのか。走る列車に向けて、銃を発射するとは、ゴルゴ13並みの腕前だ。
 だが、頬の傷はたいしたものではない。銃弾ではなく、木の枝が窓から入り込んだのだった。
 普通列車は、冷房がないので、大きな窓が開け放しになっている。列車と森の間には、ほとんど空間がないから、前夜のうちに線路側に倒れ掛かった草木の枝が、窓枠をバシン、バシンとたたいていくのだ。特に始発列車は、その被害を受けやすいのだろう。窓から顔を出すのは極めて危険だ。
もちろん、昆虫記者は顔を出していたわけではない。窓枠から5センチは離れていたと思う。それでも、枝が顔に当たるのである。
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 タムクラセの木造橋。日本では旧名のアルヒル桟道橋と呼ばれることが多い。

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 タムクラセ橋付近は、崖すれすれを列車が走る。崖側の窓からは絶対に顔を出してはいけない。こういう美しい風景に見とれていると、突き出た枝で負傷することが多い。

 そして、列車は無事クウェー川鉄橋を渡り、たったの15分遅れで、クウェーリバー・ブリッジ(クウェー川鉄橋)駅に到着した。これは事件だ。タイ国鉄の信頼回復だ。まだ午前7時半。この時間だと、観光客はほとんどいない。