虫撮る人々

地球は人間の所有物と思ったら大間違い。虫も獣も鳥もいる。昆虫記者の私的ブログです。

シンガポールの沿線昆虫ガイド⑧本格ジャングルのオオイナズマ蝶

 いよいよジャングルが本格化してきました。ここからがお楽しみの本番。なのに、このあたりから健康オタクの華人の数がグッと減ってくるのはなぜなのか。彼らは自然に興味がないのか。虫に興味がないのか(あるわけない)。

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大型のイナズマチョウの仲間、サトオオイナズマ。

 

 トイレ休憩と飲料水補給ができるレンジャー・オフィスは、このコースの中間地点。なのに、華人集団の大半はこのあたりで侵攻を諦め、折り返すようです。このコースの一番の名所、ビューポイントはこの先の樹冠のつり橋、ツリートップ・ウォークだというのに。

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レンジャー・オフィスで一休み

 でも本心では、人が少し減ったのはありがたいのです。これで虫を撮るチャンスが増えるかも。ここから先は、長距離を歩くことを全く苦にしない西洋人部隊が中心になります。日本人は昆虫記者ただ一人。多勢に無勢です。

 

 ツリートップ・ウォーク到着は昼過ぎ。暑くなってきます。恐らく華人部隊は、午前中だけウォーキングするのでしょう。賢明な選択です。

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ジャングルの中のつり橋、ツリートップ・ウォーク。シンガポールにこんなところがあるとは。

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ツリートップ・ウォークからの眺め。未開のジャングル感たっぷり

 マクリッチー公園からここまでは4.5キロほど。普通に歩けば1時間半から、2時間の行程です。つり橋からの眺めはまさにジャングル。シンガポールとは思えない光景です。日本人観光客にも、是非来てもらいたい必見スポットですね。でも考えてみれば、シンガポールに来る一般観光客は「シンガポールらしさ」を求めているわけで、「シンガポールとは思えない」ジャングルになど、来たくはないのです。なので、たいていの観光地は見尽くしたという、強烈なシンガポール・リピーターの人だけ、是非訪れて下さい。オープン時間帯は午前9時(土日は8時半)から午後5時です(月曜は休みなので注意)。

 

 この樹冠歩道の素晴らしいところは、無料という点です。前に紹介したサザンリッジの樹冠歩道、フォレストウォークも無料でした。さすがはリッチで、太っ腹のシンガポールですね。先進都市国家シンガポールが、自然探索のため、これほど立派な施設を作って無料開放しているって、素晴らしい。社会が成熟してくると、都市化の進行とは逆に、自然の大切さを見直すようになるのかもしれません。日本も是非見習ってほしいものです(特に無料化の部分を)。

 

 ツリートップ・ウォークは全長250メートル、高さ最高25メートルで眺めは素晴らしいのですが、難点は幅が狭いこと。人がすれ違うのが難しいので、長く時間立ち止まっていると後続の迷惑になります。それに一方通行なので、高所恐怖症のため途中で「もうだめ!」と思っても、引き返すことはできません。さらに、もう一度渡り直すこともかなり困難です。出口から先の一方通行の周回コースを何キロも歩かないと入口に戻れないからです。

 

 この出口から先の周回コースの、階段の多い木道が、本格的ジャングルの雰囲気を味わえる一番いい場所でした。イナズマチョウの仲間が何度も目の前を通過しました。

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ツリートップ・ウォーク出口からの木道が虫撮りにはいい感じ

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でも、西洋人部隊の進軍で撮影チャンスは限られる


 華人が減ったとはいえ、まだ西洋人部隊がかなりいるので、狭い木道上で蝶の写真を撮るチャンスは限られます。蝶が枝先に「とまった」と思ったら、後ろからガヤガヤと聞こえる英会話。カメラを構える暇もなく、蝶は逃げ去ってしまいます。

 

 それでも一度だけ、奇跡的チャンスが訪れました。メスのイナズマチョウが目の前にとまったのです。恐らくサトオオイナズマと思われます。

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奇跡の10秒に撮影できたサトオオイナズマ♀。アーチデューク(大公)という大仰な英語名を持っているようです

 10秒ほどだったでしょうか、じっくりカメラを構えて、数枚撮ることができました。傷一つない、きれいな羽の蝶でした。結局蝶が飛び立つまで、後ろから(一方通行なので前からは来ません)人が来ることはありませんでした。魔法のような、永遠のような時間でした。