虫撮る人々

地球は人間の所有物と思ったら大間違い。虫も獣も鳥もいる。昆虫記者の私的ブログです。

サイヨーク、エラワン、泰緬鉄道の虫旅⑨

◎サイヨーク、エラワン、泰緬鉄道の虫旅⑨

6月21日木曜

 海外虫旅では、泊まるホテル自体が虫撮りの拠点となり、作戦基地となり、虫と昆虫記者の生死を賭けた戦いの場となることが多い。従って、その選択は極めて重要である。ジャングルが近ければ近いほどいいし、ジャングルの中であればなおいい。タイのサイヨーク国立公園での宿も、ジャングルの中だった。

 サイヨークと言えば、クウェーノイ川沿いの景勝地である。水上に並ぶ涼しげな山小屋風の宿泊施設「シャレー」に泊まって、ラフティング、カヌーなどの水遊びに興じるのが、正当なサイヨークの楽しみ方である。ここは典型的な水辺の観光地なのだ。

 それでも昆虫記者は、あえてジャングルの中の宿を選ぶ。宿の名はホーム・フュ・トイ。たいていのホテルは「リバー○○」や「△△ラフティング」など、水辺にちなんだ名だが、ここは違う。いろいろ調べて、一番気に入った。何がいいかと言えば、まずは敷地の広大さ。そして、充実した散策路。ホテルの周辺での虫探しだけで、何日もかかりそうな環境なのである。

 川を見下ろす高台のジャングルの中に位置し、プール、ホットスパもある。広い池の上にはロープが張られていて、フィールドアスレチックによくあるターザンロープの巨大版も楽しめる。泰緬鉄道関連の展示施設もあって、歴史の勉強もできるから、勉強熱心な昆虫記者にはぴったりである。つまり、虫撮りなどしない普通の観光客も十分に楽しめる施設をいろいろと備えているのだ。

f:id:mushikisya:20190324175736j:plain

サイヨークのホテル、ホーム・フュ・トイ

 しかし、夕方に宿に到着して最初に目に入ったのは、幽霊列車だった。旧日本陸軍が建設した死の鉄道、泰緬鉄道を走っていた列車が、ぼろぼろに朽ち果て、ジャングルの中にたたずんでいた。近くに白骨が散らばっていてもおかしくない。突然貨車の扉が開き、すり切れた軍服を身にまとい銃剣を手にした旧日本軍兵士の亡霊の一団が現れても、全く違和感のない風景である。夜中に1人で歩くのはかなり怖そうだ。耳なし芳一の怪談に出てくる平家の亡霊を思い出して、泣きだしてしまいそうだ。

f:id:mushikisya:20190324180115j:plain

朽ち果てた泰緬鉄道の列車

f:id:mushikisya:20190324180314j:plain

貨車からは旧日本帝国軍の亡霊が現れそうだ

 しかしなぜ、ホテルの敷地内に、こんな恐ろしげな幽霊列車があるのか。実は、ホテルの泰緬鉄道展示施設の目玉なのである。だが、カンチャナブリの町の博物館などに展示されている、きれいに塗り直された列車と違い、ここの機関車はさびだらけで、今にも崩れ落ちそうだ。

f:id:mushikisya:20190324180522j:plain

太平洋戦争当時の写真も展示されている

 戦時中からずっと放置されていたらしく、歴史を感じさせる効果は抜群なのだが、迫力があり過ぎて、恐ろしさも倍加されている。

◆小さなサソリはお友達

 恐ろしい夜がやってきた。一人きりで部屋でテレビを見ていても仕方がない。お化けは怖いが、虫に会うには外へ行くしかない。残念ながら、新月には来られなかったから、収穫は限られる。月夜には、灯火に虫が集まってこないのである。本当は、ライトトラップで楽をして虫撮りしたい。でもそんな、取りたい時に休みが取れる身分ではない。家庭の事情、仕事の都合、色々あるのである。

 

 懐中電灯を手に、夜の森に向かう。月明かりの中に幽霊列車が浮かび上がる。生暖かい風が吹いてくると、何か出てくる予感がする。しかし、考えてみれば、熱帯の夜は熱帯夜だから、風はいつでも生暖かい。恐れることは何もないのだ。

 ライトで暗闇を照らす。街灯の下にカミキリムシがいた。黄色の紋をちりばめた、なかなかにハンサムなカミキリだ。

f:id:mushikisya:20190324180735j:plain

 ジャングルの小道に入ると、もはや街灯の明かりもなく、懐中電灯を消すと真っ暗闇だ。ジャングルの中、一人っきり。何の物音もしない。黒い悪魔のような闇が迫る。旧大日本帝国軍の亡霊も襲って来る。一体何をやっているのか。なぜ懐中電灯を消したのか。肝試しなのか。

 その時、昆虫記者はポケットからおもむろに別の小さなライトを取り出し、点灯した。ぼんやりとしたかすかな青白い光が闇に放たれる。紫外線を照射するブラックライトだ。

 すると、暗闇の中に次々と浮かび上がる恐怖の光景。青白く光る物体があちこちに。恐れていた亡霊がついに現れたのか。

 だが、幽霊が紫外線を浴びて光るという話は聞いたことがない。紫外線で光る生物と言えば、サソリである。恐怖の光景とは、毒針をちらつかせるサソリの姿であった。

 普通の方々はサソリを怖がるかもしれないが、昆虫記者は何度も出会っているから、親しみを感じるぐらいだ。幽霊は怖い。それは、まだ本物の幽霊に出会ったことがないからだ。幽霊も出会い慣れてしまえば、親近感が生まれてくるに違いない。

 サソリに会える場所、会える方法は、マレーシアのタマンネガラ国立公園で習得済み。ジャングルなら、たいていどこでもサソリに会える。しかし、ホテルの敷地内でサソリに会えるのは、なかなかに好ましい環境だ。夕食後の一時、隣家の友人に会いに行くような気軽さで、サソリさん宅のドアをノックすれば、愛想よく迎えてくれるというのは、心安らぐシチュエーションではないか。

 しかも、ブラックライトを当てると光って「ほら、ここにいるよ」と、サインを送ってくる。ホテルの敷地内なら、猛獣が出てくることはないだろうから、安心して夜のサソリ散歩ができる。

 ホテルの周りの切り株や倒木をブラックライトで照らすと、あちこちでサソリのはさみが青白く光っていた。タマンネガラのサソリは、ハサミが太いチャグロサソリ系だったが、ここのサソリは妙にスマートなのが多い。はさみはまるでピンセットのようだ。八重山諸島にもいるというマダラサソリの仲間だと思われる。

f:id:mushikisya:20190324180934j:plain

樹皮の下に隠れているマダラサソリ。ブラックライトがなければ、まず見つからない

 めくれかけた木の皮の下に、わりと良型のマダラサソリがいた。そっと樹皮を持ち上げると、サソリが地面に落ちた。予想外に素早い。長い尾をくねらせながら、一気に昆虫記者の足元に迫る。だが、昆虫記者は慌てない。サソリに人を襲う度胸はない。ただ、隠れ場所を探しているのである。昆虫記者の靴の横がちょうどいい隠れ家と見えたようで、靴の横で止まった。こんな風にして、夜の間に靴の中に入り込んだりするのだろう。朝、その靴を履いたら、一瞬で眠気が吹き飛ぶはずだ。

 マダラサソリ系のはさみは細いが、まだら模様になっていて芸術的だ。普通のフラッシュで撮ると茶色くて目立たないマダラサソリだが、ブラックライトの光を加えたカクテル光線の中では、暗い海の底で発光する深海生物のように美しい輝きを放つ。

f:id:mushikisya:20190324181110j:plain

普通の懐中電灯の光で見たマダラサソリ

f:id:mushikisya:20190324181205j:plain

ブラックライトを当てるとこんな姿に

 サソリは、そのフォルムが美しい。非常に洗練された生き物の一つだと言える。被写体として極めて魅力的なのだ。ブラックライトを手にして、東南アジアの夜のジャングルに行けば、必ずサソリに会える。そして、サソリのファンになること間違いなしだ。今回は足元にいるサソリを思う存分撮影させてもらった。

f:id:mushikisya:20190324181416j:plain

もう一匹見つけた。

f:id:mushikisya:20190324181532j:plain

LEDライトとブラックライトを合わせるとマダラサソリも芸術的色彩に

f:id:mushikisya:20190324181731j:plain

マダラサソリの正面顔

 マダラサソリは恐れるに足りない。マダラサソリの毒は弱いのだ。多分弱いと思う。弱いという情報をどこかで見た気がする。だが確信はない。一応用心はしておこう。

◆大型のサソリもへっちゃら

 別の日の朝の散歩では、少数民族「モン族」の村を通り、川を見下ろす見晴らし台を経て、隣の水上シャレー型ホテル「ジャングルラフツ」へ向かった。川沿いのホテル同士は散策路でつながっていて、どこまでも歩いて行けそうだ。

 途中で大きなサソリに出会った。チャグロサソリだろうか。もはやサソリは友達だ。優しく手を差し出して、親愛の情を示す。大丈夫なのか。さすがは昆虫記者、蛮勇と言ってもいいほどの見上げた勇気だ。

f:id:mushikisya:20190324181922j:plain

大型サソリを手に乗せる蛮勇。実は死骸。

 しかし、サソリに手を触れるような勇気が昆虫記者にあるはずもない。このサソリは車にひかれて死んでいたのである。でも、遠目には生きているかのようだ。

 タイのジャングルのホテルなら、どこにでもサソリは普通にいる。怖がることはないが、心臓の弱い人は、一応頭に入れておいた方がいい。