虫撮る人々

地球は人間の所有物と思ったら大間違い。虫も獣も鳥もいる。昆虫記者の私的ブログです。

誰も見たくない虫と植物の図鑑を作りたい

◎虫食い残骸ボロボロ図鑑(誰も見たくない虫と植物の図鑑)

◇はじめに―自己満足の決意表明
 植物を愛でる人々の多くは、虫食いを好まない。虫食い穴が一つもない、完璧な美しい植物を育てようとする。そのために、虫除けネットを張り、殺虫剤をまく。自然にとって、地球にとって、それがいいことか、悪いことかは分からない。
 ともかく、多くの人間は、虫食いが嫌いなのである。虫食いは、汚らしく、不快なのである。
 だが、ごく一部に、虫食いを探している人々がいる。それはたいてい、虫好きである。虫食いの一つもない完璧な植物で覆われた花壇、公園、畑には、虫は非常に少ない。ほとんどの虫は排除されている。

 虫好きならばたいてい、キアゲハの幼虫に、スーパーで買った青々としたパセリを与えて、幼虫を全滅させた悲痛な経験がある。パセリをバクバク食べる食欲旺盛なイモムシ。それが翌日全滅。詳しい原因は不明だが、あのあまりにも青々とした瑞々しさが怪しいのである。
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 パセリを食べ始めて半日後、茎にしがみついたまま仮死状態に。

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 翌日、すべての幼虫が遺体になっていた。

 このように、虫食い一つない完璧な植物は、虫好きにとっては不完全な植物なのである。
 虫好きは、手入れの行き届いていない花壇、公園、畑を求める。虫食いだらけの植物をあえて探す。虫の糞がたくさん周囲に落ちていたりすれば、なおいい。
 植物が嫌いなわけではない。たいていは、虫好きは植物が好きだ。虫を見つけるには、植物の知識が欠かせないからだ。
 そして、人類の中のごく一部にすぎない虫好きの中の、またごく一部は、虫食いだらけの植物の中に、美しさを感じる。あるいは、虫の食事風景、食事マナーに魅力を感じるのかもしれない。
 正直に告白すれば、虫記者が虫食いの魅力に気付いたのはごく最近のことだ。
 これまでは、木を見て森を見ず。虫を見つけると、ついつい虫を大写しにしてしまう。わが子のように大切な虫が一番きれいに見えるようにとの親心だ。これはこれで、正しい虫の撮り方だ。
 しかし、虫は食べ散らかし、そして糞をする。時には糞を塗りたくる。そうした虫の生活のありのままの姿、虫に食い散らかされる植物のありのままの姿にもまた、魅力がある。
 虫食いの魅力を語ることは、完璧な美しさに対する反感、自らの容姿に関するコンプレックス、屈折した感情の反映かもしれない。しかし、完璧な美しさもまた幻想なのではないか。これまで撮ってきた虫の写真は、「憧れのスターはトイレに行かない」という幻想に似ていたかもしれない。

 ある時、東京・江東区夢の島公園の一角で、虫食いだらけのカラスウリの葉が残照の中で風に揺れているのを目にした。それは、一流の芸術家でも容易に成しえない、不思議な調和を持った虫食いの集合体だった。
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 トホシテントウの幼虫に芸術的に食い荒らされたカラスウリ

 植物を見る時、人々はその葉、花、実の美しさを鑑賞する。しかし、虫食いもまた、自然の中では、その植物の特性の一つ、魅力の一つであるかもしれない。殺虫剤をまき散らさない限り、自然の景色は、植物と、虫と、虫食いとが一体となって出来上がっている。
 「花に蝶」は愛でるが、葉を食い荒らす虫、食べ跡(食痕)は愛でないというのは、差別かもしれない。自然が神の作り出した芸術であるならば、虫食いもまた神の芸術である。そうでないならば、神が植物を植えた時、イモムシやハムシを野に放つはずがないではないか。
 虫好きが植物を愛でる時、その植物がどんな虫を養っているのかを考え、その証拠を求める。食痕、虫食い跡は、植物がほかの生き物を養っている、ほかの生き物の命をつないでる証拠なのだ。
 その一方で、植物好きな人の中で、その植物を何が食べるかを知っている人は、意外に少ないのではないか。植物を知るのと同時に、その植物が養っている生き物を知るならば、世界は大いに広がる。植物に食痕があれば、これはきっと、あの可愛い、あるいはあの憎たらしい虫なのだろうと思うと、知識欲は大いに深まる。同じ植物を食べる虫でも、種類によって食痕が違ったりするので、思考回路は大いに刺激される。

 虫探しのために、食草、植樹を調べることは多い。しかし、植物愛好家が、害虫駆除という観点以外で、その植物が養っている虫の種類を調べることは、あまりないだろう。知っても、ほとんど何の得にもならないと思われているからだ。しかし、虫好きと植物好きの双方の側から、歩み寄っていくと、きっと予想外の面白い世界が広がっていくことだろう。
 年を取ると、付き合いが減り、世界が狭くなりがちだ。虫関係だけでは非常に狭い。植物好きは、虫好きよりずっと数が多い。植物を知っていれば、植物好きの人たちとも話を合わせられる。しかし、やはり優先するのは虫である。植物の中でも、虫のいる植物、虫の食べる植物が優先される。だが、虫に食われることの全くない植物など、恐らくこの世の中には存在しないのだ。
 植物に関しては、目下ほぼ素人。定年後に備えて、ゆっくりゆっくりと、知識を増やしていきたい。そんな御隠居の趣味のような態度で、日本植物大図鑑が作れるはずはない。だが、虫食いに美しさを感じるという希少な人々のためだけの超ニッチな図鑑の第1章、第1項の原案ぐらいは作れるかもしれないではないか。
 それに、虫好きグループの中に、植物に詳しいやつが一人でもいると、これは非常に助かるのである。コガタカメノコハムシが食べているつる草の名を聞かれれば、ボタンヅルと答え、キバラへリカメムシが抱え込んでいる桃色の実は何かと問われれば、マユミと答える。そういう人に私はなりたい。